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グッチ財布メンズ長財布編集

(グッチ) Gucci IMPRIME 2面開き長財布 ブラック 【並行輸入品】
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(グッチ)GUCCI 長財布 307987 BMJ1R 4009 ラウンドファスナー AVEL/アヴェル GG柄レザー マイクログッチ シマ ブルー [並行輸入品]
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(グッチ)GUCCI 財布 メンズ GUCCI 295610 F6BLN 1000 MEN STIRRUP ORIGINAL GG 2つ折財布 NERO[並行輸入品]
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(グッチ)GUCCI 長財布 322121 A7M0N 1000 財布 二つ折り MEN'S SOHO/メンズソーホー レザー ブラック [並行輸入品]
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(DAORA-ダオラ-) 高級牛革 二つ折り 長財布 撥水仕様
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(グッチ) GUCCI 長財布  307987 A0V1R 1000 ラウンドファスナー AVEL アヴェルGG柄レザー シマ ブラック[並行輸入品]
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 彼女は直ちに全体の構成や、人物設定などを考え始めたようであった。一月九日にはもう執筆を開始している。綾子らしいスピーディーな事の運び方といえた。タイトルを「氷点」と決めたのが一月十二日である。このタイトルは私の提案であった。朝、出勤の途次、乗り換えのバスを待っていて、ふと頭に浮かんだタイトルであった。これを綾子はいい題だと大いに喜んでくれた。  舞台は、旭川市神楽にある外国樹種見本林を想定した。この見本林は美瑛川の畔に創設された林で、かなりの広さがある。当時私は、旭川営林局に勤務していた。ある日、熊《くま》谷《がい》猛《たけ》哉《や》氏が私に言った。 「三浦君、見本林を見たか。いい林だよ。ぜひ一度見に行っておくといい」  熊谷氏は、一九四〇年、中《なか》頓《とん》別《べつ》営林署(当時営林区署)の毛《け》登《と》別《べつ》伐木事務所の主任であった時、私を検尺補助として採用してくださった。以来大変私を可愛がってくださり、面倒を見てくださった恩人である。  ともあれ、この見本林を一度見ておくようにとの一語は、まことにありがたいことであった。私はお言葉に従って、勤務の昼休みに行って見た。なるほど特有の趣のある林である。一度どころか、私は幾度もこの林に足を運ぶようになった。  そのころ、私は病臥中の綾子(当時堀田姓)を時々見舞に行っていた。ある時、彼女に見本林に行ったことがあるかと、尋ねてみた。 「小学生の時と、女学校の時、遠足で行ったことがあります」  という。それを聞いて、ぜひもう一度あの林に立たせたいと思った私は、見本林に行く度に、再び彼女がここに立ち得るようにと、切に祈るようになった。  その見本林である。正に小説「氷点」にふさわしい舞台であった。もし熊谷氏の勧めがなく、見本林を知らなかったなら、どこに舞台を考えたことであろう。小説もかなり変わったものになり、あるいは「氷点」は到底成功しなかったかもしれない。  人生にとって、たった一《ひと》言《こと》ひとことに大きく左右されることがある。弟秀夫の一言と共に、熊谷氏の一言も、実に大きな影響を私たちにもたらしたことになった。  こうして、綾子はひたすら書きつづけることになっていったが、当時綾子は私の姪隆子を手伝わせて、雑貨店をひらいていた。日中は店に出て物を売り、夜、店の戸をおろしてから床に就く。その就床時の十時頃から、十一時十二時、時には午前一時までも原稿用紙に向かった。寝床に入って腹這いになって書き進めたわけである。一月、二月の厳寒のころは、夜インクも凍る。そのインクを万年筆で突き崩しながら書いたのであった。なにぶん、職場から五十万を借りて建てた家である。寒いことこの上もなかった。  小説の締切期限は一年であった。一九六三年十二月三十一日午前一時頃に脱稿したのであったろうか。それを私が一個の小包にしたのが午前二時、ひと眠りして本局に持っていったのは午前十一時前後であったと思う。十二月三十一日のスタンプがあれば有効ということで、私は局員に明瞭に押してほしいと注文をつけた。 「はい、わかりました。二回押しておきましょう」  と言ってくれた局員の言葉は、今も耳にある。遂に矢は放たれたのである。  翌一九六四年、一月になって間もなく、私は急性肺炎になる。「氷点」の原稿のコピーを私が取っていて、その疲れが出たのかもしれない。複写機などは持っていなかった。一枚一枚私が書き写していたのだ。最後のほうはその時間もなく、ままよとばかりコピーを取らずに送り出したのであった。  肺炎は春になって治り、勤務に復することができた。綾子は小説を書いた疲れもなく、至って元気であったが、私の看病で疲れたのか、階段を二、三段踏み外して、尾《び》〓《てい》骨《こつ》をしたたかに打ったことがあった。下手をすれば一生からだが不自由になるところを、幸いそこまではいかなかった。  こうして、第一次発表の六月十九日を迎えることになる。その二十五人の中に「氷点」の作品名と、三浦綾子の名があった。次いで六月三十日が第二次発表の日で、十二篇の中に再び「氷点」が登場する。  この第二次発表の一週間程前に、朝日新聞東京本社のデスク、門《もん》馬《ま》義《よし》久《ひさ》氏が綾子を訪ねて来られた。私は職場に行っていて、綾子だけが応対した。
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