ルイヴィトンエピ財布新作
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ルイヴィトン 長財布 M60323 エピ ポルトフォイユ・サラ ピモン
__109,26000
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(ルイヴィトン)LOUIS VUITTON エピ ミュルティクレ6 M63812 ノワール [並行輸入品]
__38,00000
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null「この書生がスパイだったんですよ。近衛さんの上奏のことは私は知りません。かえってこの書生から聞いたんです、スパイの方からね、ハハハ。ともかくひどいもんで、本宅の書生を憲兵が買収し、大磯の方の書生は陸軍省で買収してました。本宅の門には憲兵の乗った自動車がつけっぱなしで、犬まで肉で買収、女中も買収していたんですよ。電話は全部盗られてしまうし……。  旦那様はそれから一月半して五月の末に帰っていらしたんですけど、入れ替りにこの書生が姿を消しましてね、その足で箱根の近衛さんの床下にマイクを仕込んでスパイをやったんですよ。終戦後しばらくしてやって来て、�職務とはいえ、大変申し訳ないことをしました�と謝ったら、旦那様は、�この男、勤務振り誠に良好なり�と紹介状を書いて就職のあっせんをしてやったんですよ。それにその弟を書生として使ったりしてね」  面白いことに、十九年十二月七日の清沢洌『暗黒日記』に、「加納久朗氏の話によると、吉田茂のところにも憲兵隊からスパイを書生に住み込ませたとのことである」とある。長く正金銀行ロンドン支店長をやった加納は吉田が英国大使のときも一緒だったし、原田、加納、吉田の三人は|眤懇《じつこん》の間である。加納はスパイの話を誰から聞いたのか、もし他人から聞いたなら吉田にも当然注意したろうが、たぶん吉田本人から聞いたと思われる。吉田は書生がスパイだと承知のうえで平気で使っていたのだろう。  東京憲兵隊司令官だった大谷敬二郎によれば、この大磯邸のスパイ書生は陸軍省の軍事資料部の指導で潜入した者で、近衛上奏文を吉田が岳父の牧野伸顕に見せるために筆写したのを盗写したのもこの書生のしわざだったという。  吉田が憲兵に連行されて一時間ほどして、やはり原田のところにも憲兵がやって来た。感心なことに、吉田邸のスパイ書生は坂本のいいつけを守って電話連絡したので、原田は戸棚に入れてあった近衛や吉田からの重要な手紙類を土屋看護婦に預け、自分は重病人を装って布団にもぐり込んでしまった。土屋看護婦は預った手紙を着物の下に隠したが、憲兵の方も原田を逮捕する予定はなく、病状を土屋看護婦に質したうえ、原田に吉田や近衛と会った事実を確かめ、簡単な家宅捜索をしただけで昼近くに引き揚げてしまった。 「電話をもらってから三十分したら憲兵が来たよ。助かった」  あとで原田は吉田や坂本に話していた。  吉田が憲兵隊本部に連行されると同時に、殖田俊吉(戦後の法務総裁)、岩淵辰雄も逮捕された。いずれも近衛に近く、近衛上奏文の作成や和平運動に関係している人々である。  近衛はこの時、軽井沢にいた。原田は、憲兵が近衛の上奏内容を問題にしていると知って近衛に電話で連絡し、近衛は翌々十七日、軽井沢から大磯まで出て来て、原田と夕食を共にした。 「余は重臣として、御上の御召により、素直に自己の所見を申し上げたるまでにて、その時何のお咎めもなかりしが今憲兵にその内容を調べらるゝいわれなし。かくては重臣としての責を尽す能わざるを以て、この際、位階勲等一切を拝辞する決心なり」〈細川手記384〉  温厚な近衛もさすがに激怒していた。池田成彬とも相談しようというので、二人は稲荷松の池田邸(元西園寺の別荘)まで人力車で出掛け、夜おそく近衛は入生田へ発って行った。  近衛は、吉田逮捕について牛場友彦や次男の通隆に語った。 「僕なら絶対にあゝいうことはさせない」 「ではどうするんですか、立ち回りでもやるんですか」  通隆がきくと、近衛はにやりと笑って、手を首の辺に持っていって、「手はあるさ」とうそぶいた。「捕縛されるはずかしめを受けたくない」という気位の高さなんだろう。牛場は十八年秋ごろ、「近衛が青酸カリを用意した」〈風見『近衛内閣』274〉という噂をきいたのを思い出したという(牛場証言)。  二十一日に近衛は伊東に出かけて若槻と会い、その翌日は湯本まで出て来た原田と昼食を一緒にし、さらに翌日には重臣会議に出席するため小田原から日帰りで上京した。 「二十三日重臣会議のあと、米内大臣に会っていろいろ話を聞き、日本を救うは此の人を措いて無いと感じ、心強く考えると共に眼頭の熱くなるのを覚えた……」  近衛は、二十四日付の原田宛の書簡で米内との連絡に手をかすように原田に頼んでいる。